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2005年1月5日(水) 韓国の旅

天気(快晴)                                                          日中の気温0.2℃

●8:20ホテル→自由の橋(臨津江公園)→都羅山駅→南侵第3トンネル→と都羅展望台→13:30市庁到着→南大門市場→龍山電気街→光化門の教保文庫→ホテル→夕食

◆DMZツアーを申し込んだ動機
1年くらい前からずっと行きたかったところがあった。都羅山(トラサン)である。国鉄京義線の終点であり,北朝鮮に一番近い駅でもある。都羅山にある都羅(トラ)展望台からは北朝鮮が一番間近に見られると言うし
,都羅山駅そのものにも興味がある。さらに北朝鮮工作員が秘密裏に掘ったとされる南侵第3トンネルなどもこの目で確かめたかった。私の恩師である武井先生先生からも折に触れて「西ドイツと東ドイツが何の前触れもなく突然統一したのと同じように,ひょっとすると北朝鮮と韓国も突然統一するかもしれない」とおっしゃっていたので,なおさら早く行かなければならないと思っていた。これが今回のツアー参加の主な動機である。南北が統一することは歴史的に見てうれしいことであるが,もし南北が統一してしまったら都羅山に行く価値(歴史的な価値)も下がり,このツアー自体もなくなってしまうのではないかと気になって仕方がなかったからである。南北が統一すれば,おそらく都羅展望台の価値は薄れ,都羅山駅もソウルと平壌を結ぶ鉄道の通過駅になり,今まで発見されている4つの南侵トンネルは埋められてしまうであろう。自分の目で確かめる前にそうなってしまえば,同時代に朝鮮半島で起きたただの「歴史」にしかならない。そう思い,今回は半ば焦り気味でツアーに申し込んだ。
※地図上では都羅展望台から直線距離にして約4km先から北朝鮮になる。展望台から5kmのところに建物群があり,運が良ければ人が歩いているところまで見える。天気が良い日は約20km先にある北朝鮮の都市・開城(ケソン)の,金日成像(高さ20m)まで見えるようだ。

◆DMZツアー(46,000ウォン)
武井先生のお薦めで,このツアーには昨日,ソウルに着いた時に申し込んだ。ツアーは,8:20集合→臨津閣(イムジンガク)公園(自由の橋など)→統一大橋検問(バス車内での身元確認)→南侵第3トンネル(DMZ映像館,展示館)→都羅展望台→都羅山駅→臨津閣公園→14:00市庁前解散,といものである。今日は武井先生とは別行動。ツアー終了時に市庁で待ち合わせをすることになった。朝8:20,ツアーのバスは麻浦(マポ)のholiday inn seoulホテルまで迎えに来てくれた。そこから漢江沿いにバスで50kmくらい北上し,まずは臨津閣公園で降り,身元確認をする。漢江はソウル市内を東西に横切った後,50kmくらい北上して下流付近で臨津江と合流する。私の乗ったバスはまずそこに向かう。乗り始めて20分くらいしたところだっただろうか。車窓から見る漢江は白く少し波を打ったような感じで凍っていた。まるで塩田を見ているかのような不思議な錯覚に陥った。ガイドさんの話によると,漢江は気温マイナス3度の日が3日続くと凍るらしい。昔は川がすぐ凍ったらしく,そこでスケートをやった人がいたらしいが,現在,ソウル付近ではスケートができるほど氷が張らない。しかし,バスから見た光景は真っ白な世界だった。下流になるほど流れが緩やかになり,少しの温度低下でも凍りやすくなるようだ。40分くらい経ったところでバスは臨津閣公園に到着した。ここで身元確認をされた後,10分くらいの自由時間ができた。そこで公園内のすぐそばを流れる臨津江とその川にかかる自由の橋を見学した。

◆自由の橋
じつは臨津閣公園に来たのは私は2回目である
。凍り付くような寒さの中,バスから降りて自由の橋に向かって歩いた。手前に木造の橋がある。橋の上は真っ白な砂が一面に敷き詰められていた。これは零下10度の寒さの中で霜が白い粒状の氷に固まったものだ。どうやら今日私が歩くのが初めてらしい。足跡がまったく無かった。真っ青な大空に,肌に突き刺さるような冷たい風,砂状になった白い氷と,極寒の地・韓国を肌で感じながらしみじみと韓国にいることを感じていた。時々「滑らないように」という注意の看板が見られる。そう,この橋の上は滑りやすいのだ。滑らないように注意しながら歩く。自由の橋がかかる,すぐそばの臨津江(川)はカチカチに凍っていた。川沿いには軍事施設があり,軍人たちが1mほどのライフガンを手に持って常に警戒している。鉄道の橋の側で見学していた時,偶然にも都羅山駅行きの列車にすれ違った。この臨津江・都羅山駅方面へ向かう列車は1日3本しかなく,もっと厳密に言うと,そのうちこの自由の橋を渡る列車は2本だけである。かなり貴重な瞬間だった。とっさに手持ちのカメラを向けて写真を撮った。自由の橋の真ん中にはちょうど民統線(民間人出入統一線)が引かれていて,一般の人は韓国の人でも許可がないとこの線を越えられない。橋を渡る場合は,渡る前に検問でチェックされる。しかし,この線を超えたところにも「自由の村」(韓国側)という村があり,昔から住んでいた人やその子孫が生活をしている。複雑な事情を持った地域でもある。
※2002年9月19日にも臨津閣公園に来ていた。
※ソウル8:50発→臨津江11:19着,ソウル10:19→都羅山12:19着,ソウル12:19発→都羅山13:19着,の3本のみ。1列車300人限定で臨津江駅で手続きのため下車,1本後の後続の列車で臨津江駅から都羅山駅に向かう仕組みになっている。つまり一番最後の列車に乗ると,都羅山駅には行けない。
※じつはもっと良い写真があるのだが,軍事施設が入ってしまったためホームページには載せられない

◆都羅山駅
臨津閣公園でバスを乗り換えた後,自由の橋の近くにある統一大橋にバスは向かった。ここで検問を受けて都羅山駅方面に向かう。この手前からビデオ・写真撮影は禁止になる。都羅山駅までは民統線,南方限界線を越えて軍事分界線(北緯38度線)の近くまで行く。北朝鮮の平壌までは民統線,南方限界線(軍事分界線より2km),軍事分界線(事実上=国境),北方限界線(軍事分界線より2km)と続く。南方限界線と北方限界線の合わせた距離4kmは非武装中立地帯(DMZ)で,その地域の自然にはまったく人が手をつけられていない世界でも数少ない秘境の地でもある。ここにシュリという珍しい魚がいて,これが南北間の愛をテーマに超大ヒットした韓国映画のタイトルにもなっている。じつはその中に都羅山駅がある。都羅山駅に行くまでの間,道のそばにはドクロマークや白,黄色などの看板や刺さっているのが見えた。これらは地雷の看板で,地雷がどこに地雷が埋まっているか分かるようにしているものだ。地雷そのものは韓国側が埋めたもので,撤去しないでそのままにされているのは,北朝鮮がいつ攻めてくるか分からないという防衛上の理由による。バスは都羅山駅に到着した。天井が20mくらいの割と大きくて近代的な建物であるが,外での撮影は禁止されている。しかし駅舎内に限り,軍人をさえ写さなければ撮影することができる。見学時間は10分ほどしか与えられなかったが,入場券(500ウォン)を購入して,改札をくぐってみた。改札を通ると地下に行く。地下は暗かった。列車が来ない時間は蛍光灯がつかないようだ。時間がないので走る。駅はまだ半分くらいしか完成していないので不気味な感じがする。空港の荷物検査のような台が何台かあり,そこを通り過ぎるとホームに向かう階段がある。階段を上り,地上に出ると長いホームが見えた。ホームの行き先案内板には「乗り場,開城(ケソン),平壌(ピョンヤン)方面」の文字があった。将来的にはこの駅も平壌への通過駅になるだろう。現在,北朝鮮の(韓国側への)鉄道延長建設が進んでいないため鉄道の統一もまだまだ難しい状況だ。駅関係者らしきおじさんが来て,私が観光客の添乗員かと聞いてきた。おじさんは案内してくれるようだったが,残り時間があまりにもなかったので丁重にお断りした。ツアーで参加している関係上,時間が制限されている。聞きたいことも聞けずに引き返してくる羽目になり,かなり残念だった。しかしそこで,また次の機会にゆっくり見学しようと開き直った。ホームを後にして急いで戻る。あとで私の後ろに着いてきた日本人は線路の枕木に「人名?(日本語)のようなものが書いてあった」「落書きみたいだった」と口々に言っていたが,真相は不明である。

◆南侵第3トンネル
都羅山駅を後にして,今度バスが向かったところは南侵第3トンネルである。以前購入した書籍『板門店』(ハンリム出版社)によると「第3トンネルは1978年10月17日に板門店付近で発見された。ソウルから(直線距離にして)44km離れた地点にあるもので,重砲と重装備を兼ねた3万の兵力が1時間以内にソウルに達しうる仕組み」であると書かれている。このような北朝鮮が掘った,または掘っているとされるトンネルは現在,非武装地帯には17箇所あると推定されている。現在,韓国側が実際に穴を掘って事実が確認できたものは3つで,今回私が入ったのは第3トンネルである。ちなみに第1,第2は韓国側の軍事施設内にあるということで公開されていない。ここもビデオ・写真撮影は禁じられている。入り口でロッカーに荷物を全部預け,ヘルメットをかぶって地下スロープを下っていく。ここで南侵第3トンネルの説明を韓国側の案内板を使ってしたい(日本語訳の案内板があったが,意味不明な文章になっているので韓国語をもとに文章を直してみた)。

1974年9月5日,北朝鮮の帰順者であるキム・ブソン氏が南側の非武装地帯にある大きな柳の木を見て自分が地下トンネルを測量した測量技士だと韓国軍に知らせてきた。この時から南侵が予想された方向を探すため,水を詰めた直径7.5cmPVCパイプ試掘球107個を2m間隔で設置した。3年後の1978年6月10日,あるボーリング球から爆発音と共に水が吹き上がるのが目撃され,まわりに5つのボーリング球を追加して設置していたところ,敵(北朝鮮)が掘り下げた南侵用地下トンネルを貫通した。(途中までの)トンネルは南侵地下トンネルを探すために3ヶ月間の工事を経て造ったトンネルで300m地下に降りていくと敵坑道がある。この第3トンネルは全長1635m,地下73mにある,高さ2m,幅2mの丸いアーチ型の地下トンネルである。軍事分界線を基準に,北へ1200m,南へ435m掘っていったところ,その貫通地点で発見されたもので,現在歩いて見学をできるのは,そのうち265mの部分で,その先から軍事分界線までは見学することはできない。▼これが南側に侵略するための地下トンネルだという理由は,第1に,このトンネルの傾斜が北側へ約3度くらい傾いており,無地が北側に排水されるようにしてあること。第2に,岩盤を爆破するためのダイナマイトを仕掛ける穴が南側に向けられているということ。そして第3に,トンネルの壁面の石炭が自然の洞窟に見せかけるために塗ったものであると考えられる点である(なぜならこのトンネルの地質は石炭が全く含まれないものであるからだ)。▼以上のような点からこのトンネルは明らかに北側が意図的に掘ったものだとされ,南北分断の厳しい現実を知る貴重な現場となっている。

南侵トンネルまで行くには,入り口から傾斜12度くらいだったと思うが,350m以上ある真っ直ぐな坂になったトンネルを下りることになる。傾斜12度は人間の感覚ではだいたい傾斜40度に近い。少し歩いただけで息が切れる。この坂には休憩するためのスペースがなく,一度歩き出したら最後まで歩かないといけない。350m先に豆電球のような明かりがあるが,はっきりと先まで見えない。変な話だが,乳母車を押して入ったお母さんが何かふとした隙にそこから手を放してしまったらどうなってしまうのだろうか,と考えてしまった。半分が過ぎると少し胸に圧迫感があるような感じがした。そこでふと「心臓の弱い方はトンネル内に入らないで下さい。呼吸が困難になったらすぐ引き返してきて下さい」というガイドさんの言葉を思い出した。今まできっと引き返した人が何人かいただろう。嫌がらせのように長い坂を下り,南侵トンネルに到着した。地下73mにあるこのトンネルは説明通り,丸形で天井は私の身長175cmよりやや高い程度のもので,幅は人が何とか往来できるほど狭かった。温度や湿度,酸素,排水等の管理はされていてるが,歩いているとなま暖かい空気が押し寄せる。壁面はベトベトに濡れていて,手で触ると石炭のすすが付着した。韓国側の説明に従えば「自然の洞窟に見せかけるために塗った」ものらしい。このトンネルをずっと行けば北朝鮮に行ってしまう。もちろん,行けないように軍事分界線(北緯38度線)の手間で3枚の板で仕切りがされているが,この3枚の板を越えてしまうと...と思うといろいろ妄想してしまう。時間が気になっていたので私はそこまで行かずに引き返してきてしまったが,実際そこまで行くと何か感じるものがあるだろう。今度時間にゆとりがあれば行ってみたいものである。……トンネルを出て地上に上がったのだが,思っていたよりかなり時間が余った。あのまま軍事分界線近くの仕切りのところまで行っておけば良かったなと後悔する。バスの出発時間まで時間があったので,もう1つの入り口(昔はこちらがメインだった)の方に行った。ケーブルカーがあり,おそらく足の弱い人や高齢者などが多く利用するものであろう。ツアーには含まれていなかったので興味本位に乗り場まで行ってみた。写真を撮って,そこのお兄ちゃんとたわいない話をしてバスに乗った。

◆都羅展望台
それからバスは都羅展望台に向かった。途中から山を登り始めた。いろは坂のような急でくねくねとした坂を上り,頂上に到着した。そこは見渡す限り北朝鮮の景色が目に入ってくるような場所だった。まずはじめに軍人の話(日本語)を聞き,その後,実際に展望台から北朝鮮を眺めた。展望台から3kmのところに軍事分界線(北緯38度線)があり,そこから北朝鮮になる。この日は天気が良かったが,まだ朝方の霧が残っていてやや曇って見えた。しかし,約20km先の北朝鮮の都市,開城(ケソン)のうしろの山まで見える。開城に白いビルが集中して立っているのがわかるが立っていることぐらしか分からない。天気が良く空気が澄んでいれば,その開城にある20mの高さのある金日成の銅像が見えるらしい。今回は残念ながら霧で見えなかった。武井先生がおっしゃっていた通り,北朝鮮がよく見える。以前にオドゥサン統一展望台で臨津江を挟んで4kmの先の北朝鮮を見たことがあったが,今回はそれを上回る感動を得られた。ちなみにこの日の翌日は天気は曇りのち雪。1日ずれていたら確実に見られなかった。500ウォンを入れると双眼鏡が利用できる。そこでものは試しに双眼鏡から北朝鮮を眺めてみた。すると,北朝鮮の人たちが見えた。農業を営んでいるようである。まず2人は田んぼの前で休憩をしていた。近くに牛が草木を積んだリヤカーを引いて立っている。何だか双眼鏡に取り付けられた絵を見ているような感じがして目を疑いたくなった。しかし,人は歩いているし,少し離れたところでショベルカーが動いていた。ショベルカーは展望台から7,8kmくらいのところだと思うが,マンションなど作ってその地域一帯を開発しているようだった。おそらく最近,北朝鮮の開発に乗り出した中国企業の工事だと思うが,そのような状況も双眼鏡を通してより鮮明に見ることができた。写真撮影ができる場所は決まっていて,展望台から少し後ろに離れた所からしか写せない。双眼鏡のすぐ下には高さ1mくらいのコンクリートの壁があって,後ろから写真を撮ろうとするとちょうど韓国側の景色が隠れるようになっている。おそらく防衛上の理由で韓国側が写真に入らないようにしているのだろう。だから1mの壁を作ったり,撮影場所の制限がされているのかもしれない。

◆市庁から南大門市場
先ほどのツアーはDMZ(非武装地帯)のツアーなのだが,最後にアメジスト(紫水晶)加工場に寄り,そして市庁で解散した。ここは省略しよう。市庁前ブレジデントホテル1FのJALの受付窓口で武井先生と待ち合わせをする。そこから歩いて南大門市場に行く。目的は散策。メインストリートから少し奥に入ったところに行くと安価で品物が良い店があったりする。メインストリートは値段が高い。また裏の商店では肉や魚,唐辛子などが売られていて,時々豚を引きずって歩いているお兄さんに出くわしたりする。寒さのせいか,もともとそういう売り方をしているのか分からないが,魚はほとんどカチンカチンに凍っている。こういう生活のにおいが漂うところも魅力的だ。

◆龍山(ヨンサン)電気街
3年くらい前から訪ねてみたいと思ったところが龍山電気街である。今回念願の龍山に行くことができた。南大門からはバスで移動。およそ15分ぐらいで到着。バスで行くと龍山電気街の裏側に着く。そこから徒歩で2,3分歩いたところに電気街はある。よく日本の秋葉原の電気街と比較されるが,実際に来てみると街の規模の大きさと品物の安さに圧倒されてしまう。ひとつひとつ,いかに安いかを書いてみるのもいいがここでは省略しよう。電気街は電機製品によって区画みたいなものがある。これは厳密に分かれているわけではないが,パソコン,テレビ,ラジオ,時計...という具合だ。ここまで足を運ぶ日本人はかなりの韓国通といえよう。実際に日本人は1人も見かけなかった。記念にというわけでもないが,武井先生に勧められてUSB接続のハングルのキーボードを購入した。25,000ウォンのところを24,000ウォンに負けてもらった。日本円で2400円というところであろうか。USB接続でなければ700円くらいで売っている。PCに詳しい人なら1日いてもまったく飽きないところだろう。

◆教保文庫(キョボムンゴ)
龍山駅から地下鉄1号線に乗る。龍山駅の次の駅,南営駅とソウル駅の間でめずらしい体験をした。電車の蛍光灯が次々に消えていくのである。そこで武井先生に伺ったところ「この南営駅とソウル駅の間にはデッドセクションがあり電気方式が切り替えられる」とのことだった。詳しく説明すると韓国国鉄は交流で走っていて,ソウルの地下鉄は直流で走っている。南営駅とソウル駅の間は国鉄から地下鉄に乗り入れをするため,電気方式が切り替えられる。その電気が流れていない部分をデッドセクションといい,電車がその部分に進入すると停電する。だからそれまでにある程度スピードを出しておいて,あとは惰性で走るのだ。デッドセクションに入った時に電気方式を切り替えて,しばらくして後に復旧する。夜に乗った場合,デッドポイントで車内の電気が消えて非常灯だけになるらしい。これも一度は体験してみてもいいのではないか?
市庁駅で下車して,歩いて教保文庫まで行く。1時間ほど中を回って本を4,5冊購入した。
※日本でも北陸本線などで見られるらしい。

 


   
 自由の橋(右側が鉄道用,左側は旧車用の橋だった)

   
 南北統一を願うメッセージ(写真撮影の許可有)

  
   1日3本しかない都羅山駅行き列車の通過に偶然出くわした

   
  都羅山駅(韓国最北の駅,この駅周辺ではまだ地雷が...)

   
  行き先に「平壌(ピョンヤン)」の文字が見える(都羅山駅)

   
  南侵第3トンネル入り口(私たちはもう1つの入り口から入った)

   
  南侵第3トンネルの中の様子(中は撮影禁止のため案内板で)

   
  北朝鮮がよく見渡せる(都羅展望台)

   
  展望台から5kmのところにある北朝鮮チグムリ(地名)

   
  龍山電気街入り口(写真右側に電気街がある)

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