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2002年9月20日(金) 韓国〜1人旅〜

天気(曇)  最高気温-℃ 最低気温-℃ 湿度-%

◆汝矣島→景福宮・国立民族博物館→昌徳宮→新村・梨大→西大門独立公園

◆1人旅はつづく...
3日目の朝。今日から旧盆に入るため市内は閑散としていた。最初は朝だからだと思っていたが夕方になっても同じで数日前までにぎやかだった街は静かだった。今日はどいうわけか朝一で汝矣島(ヨイド)に行きたくなったのでさっそく地下鉄に乗る。汝矣島に行く目的はただ国会議事堂(クックェウィサダン)を見たくなっただけであり、それ以外はほとんど用がない。汝矣島はソウルを東西に流れる川、漢江(ハンガン)に浮かぶ島である。なので地下鉄(5号線)も地上の鉄橋を渡るだろうと思っていたが、思惑は外れずっと地下を走って駅に到着してしまった。どうやらこの5号線だけは地上を走らないらしい。駅を降りて地上に上がるも人気は全くない。旧盆だからだろうか。最近建てたようなビルが立ち並んでいるだけであとは片側4車線の道路があるくらいだった。この道路の500mくらい先に国会議事堂があるのだが、それ以外は観光するところはない。地下道など使って国会議事堂に向かって歩くがなかなか近くに行くことが出来ず、時間の関係上、途中で引き返した。おなかがすいたのでメクドナルド(マクドナルド)に入ることにした。店の雰囲気はアメリカも日本も中国も同じ感じだが、ただ1つ違う点は表示がすべてハングルであることである。ハングルは慣れないうちは解読するのに時間がかかる。私はハンバーガーと読むのに1分かかる様であるから、店員に英語で書いたメニューのプレートを出して欲しいと頼んだ。しかしそんなものはないらしく、結局セットメニューに数字が振ってあったので数字を言って頼むことになった。中国では英語のプレートを出してきてくれたのに...と思いつつも少しでも韓国語が通じるとついつい舞い上がってしまう。今日は旧盆だから人が少なかったものの、これが平日のもっとも人が混み合う時間だとどうなっていたことだろうか。のちにガイドから聞いた話であるが、韓国人は何でもハングルで表記するらしい。確かに街中を歩いていてもアルファベットが少ない気がする。それはそうと、私が頼んだのはチーズバーガーセット。「3分待ってて下さい」...不勉強な私でもこのくらいは聞き取れる。料金は3700W。日本の約2分の1の値段である。やはり韓国の物価は日本の2分の1が基本である。さてハンバーガーの味と量はというと日本とほとんど変わらない。朝食を取った後、再び地下鉄に乗って景福宮(キョンボックン)に行く。景福宮とは李氏王朝を興した李成桂が1394年に建てた王宮である。ソウルに数ある王宮の中では最初期のものである。創建されてから豊臣秀吉による1592年の文禄の役(韓国では壬辰倭乱という)で消失するまで約200年間正宮として使用された建物である。王朝末期の1865年に再建されたものの、1910年の韓日併合で敷地内の多くの建物が壊された。それぞれの建物には案内板があり、その当時のことが韓国語、英語、日本語で書かれている。読んでいると日本人なのになぜか反日感情が湧き起こる。日本人はひどい。そう思えてならなかった。おそらく現在も反日感情を抱く韓国人はこういう歴史遺産から過去の歴史を感じ取ったのだろう。いきなり景福宮に入った時の感想から書いてしまったが、入り口で中国人観光客に写真を撮ってもらって入る。韓国に来ているのに、中国人に写真を撮ってもらっている日本人(=私)と考えるとなんと滑稽な話であろうか。デジカメだったので映像を確認していたところその中国人はひどくびっくりしていた。デジカメはまだ日本でしか普及されていない(韓国でも売っていることは売っているが)。だから外国に来てデジカメを持っている人を見かけたらそれは99%日本人だと思った方がいい。さて景福宮の中に入ると日本人ツアー客が観光していた。そこで私も現地の学生を装って少し離れたところで説明を聞いていた。メインの勤政殿(クンチョンジョン)は修理中で、現存する韓国最大の木造建築は見られなかった。しばらく1人になって(というか、もともと1人であるが...)建築物を見ていたところ、若い韓国人青年に話しかけられた。どうやらツアーのガイドをやっているらしいが私を韓国人と勘違いしたのだろう。韓国語で話しかけられた。こっちも見栄を張って習いたての韓国語を乱発するも1分もしないうちに自爆してしまい結局英語で話すハメになった。相手も学生らしく、私の方がたまに韓国語を混ぜて話すと、青年に「英語を聞いて韓国語を話す通訳か」と言われてしまった。どうやら赤十字の宣伝をしているらしくパンフレットをもらってそのまま別れた。敷地内に閔妃(ビンヒ)<王朝末期の国王高宗の妃)殺害を記したレリーフがあるとガイドブックにあるが見つけることが出来ずに1周してしまう。この敷地内には国立民族博物館(クンニプミンソクパンムルグァン)があり、せっかくなので中に入ってみた。ここには先史時代から李朝時代までの民衆の伝統的生活が展示されている。1時間くらいかけてゆっくり回ったのであるが、実に興味深い内容だった。博物館には小学生の女の子たちが一生懸命館内の説明をノートに写していた。人から聞いた話だが韓国人は基本的に博物館が好きなようである。だから博物館そのものの内容も必然と充実したものになっている。日本の博物館みたいに意味のない展示はされていないので見ていて飽きない。民族衣装と仏国寺の印刷物に大変感動してしまった。外に出るとまたまた写真が撮りたくなってしまい、今度は韓国人カップルに頼む。すぐに日本人だと見抜かれたようで(私はすぐには見抜かれないだろうと思っていたので正直ショックだった)、お礼を言って別れた後しばらくして、男の方が「いち、にぃ、さん、しー」と数字を言っていた。韓国では高校から第2外国語として英語以外にフランス語、ドイツ語、日本語などが選択教科として履修することになっている。たまたま昨日書店に入る機会があったので店内をいろいろ散策していたところ日本語の教科書を発見した。パラパラと中身を見てみたが、練習問題は異様に難しかった。日本の学生である私が解けないくらいだからそれだけ韓国は教育レベルが高いことなのだろうか?景福宮を出たところ日本人らしきカップルを発見した。歩き方ですぐに日本人だと分かった。日本人は腰が低くして足を引きずるようにして自信なさそうに歩くのが特徴だと思っている。日本にいる時は日本人の歩き方など気にもしないが、異国にいると日本人の歩き方が目立つようによく分かる。私は歩き方も文化の違いだと思っている。日本人はかかとで歩く人はあまりいない。どちらかというと足のつま先まで力を入れて踏ん張って歩くのが特徴だと思う。これは雪駄、下駄の血が流れているのではないかと考える。ここで文化論を述べるとせっかくの旅行記が台無しなのでこの辺で省略するが、とにかく目に見える行動様式、生活習慣はすべてその国の文化だと私は思っている。景福宮に出た後、昌徳宮に向かう(12:20)。駅の数でいうと1つ分だが結構歩いた気がする。昌徳宮は李朝3代国王の太宗が1405年に建てた宮殿で景福宮が正宮だとすれば昌徳宮は離宮にあたる。景福宮の消失後、再建されるまで歴代の王はここで執務をとった。ここは世界遺産に指定されているだけに、観光客は国ごと(韓国人、アメリカ人、日本人)に指定された入場時間にしか入れない。運良く入場時間の10分前に昌徳宮に到着した。入り口にあたる正門でアメリカ人に写真を撮ってもらう。このアメリカ人もデジカメを見て驚いていた。時間になり門の中に入るや日本語ガイドのおばちゃんが約1時間20分かけて宮内の説明をしてくれた。かなりきれいな場所である。敷地内には日本の梨本宮家から嫁いで大韓帝国最後の皇太子英親王(併合後は李王)の妃となった方子(まさこ)女史が晩年暮らした所で知られる場所がある。昌徳宮を出た時は14時だった。道端にあった屋台でイモを買う(フライドポテトの形をしていたのでてっきりポテトだと思っていた)。それが今日の昼食。実はあまりおなかがすいていなかったのだ。次に新村(シンチョン)・梨大 (イデ)に向かう。が、地下鉄の改札に向かう前に書店を発見。さっそく散策してみた。韓国ではあまり雑誌はおいていない
※1。女性のファッション雑誌はあるが,他に雑誌といえば詩集くらいであろうか。特に女性のファッション雑誌はすごい。定価は5000W〜6000Wの間で日本とあまり変わらないがページが何百ページにもおよび、タウンページ級に分厚い。それから絶対に豪華な付録がついている。たとえば雑誌で紹介した化粧品がくっついていたり、鏡が付いていたり、ファッションカタログが付いていたり、とにかくボリュームに圧倒される(実は最終日に母のおみやげにコンビニでファッション雑誌を買ったのだが、まさかレジで化粧品セットをもらうとは思わなかった)。書店で寄り道をしてしまったが、新村で下車して地上を歩く。延世大学と梨花女子大学のある学生街で、まさにそういう人たちのための街である。旧盆なのに若者でにぎわっていた。日本で言うと原宿の竹下通りまでは行かないが下北沢みたいなところである。延世大学と梨花女子大学はどちらも韓国の名門校らしく、ガイドブックによると、延世大学は慶應義塾大学、梨花女子大学はお茶の水女子大と聖心女子大を足して2で割った感じなのだそうだ。時間に余裕がなかったので1駅分歩くだけですぐに地下鉄に乗ってしまったが、時間があったら行ってみたい場所の1つである。この街は1人で歩くのはもったいない。だいぶ日が傾いていたので急いで西大門独立公園(ソデムントンニプコンウォン)に向かう。これは景福宮の次の駅なので再び電車で引き返すことになる。そもそも引き返すハメになったのはガイドブックのせいである。新村・梨大のページにどういうわけか西大門独立公園の説明が書いていた。私はてっきり歩いて行ける距離だと思っていたのだが、これは大きな誤算だった。人生ゲームで10マスくらい戻って$1000失うような気分だったが、しかしそこには30分くらいしかかからないし、運賃も600Wなのであまりショックというほどのものではなかった。しかしもう少し綿密な計画を立てておいた方が良かったのではないか?と反省してしまった。
※1「韓国ではあまり雑誌はおいていない」…これは完全な誤解である。ソウル教保文庫に行けば,たくさん置いている(2006/02/19加筆)。

今日は疲れたので西大門独立公園についてはまた後ほど追加したい。

 


   
   
国会議事堂

   
  s
テレビドラマの撮影現場に遭遇する(汝矣島(ヨイド)にて)

   
   
景福宮

   
   
当時の生活の様子がよく分かる(景福宮)

   
  
当時の様子(景福宮内にある国立中央博物館)

 

    準備中(以後更新予定)

 

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