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2003年9月26日(金) ソウルの旅~3日目~

天気(快晴)  最高気温℃ 最低気温℃ 湿度%

●戦争記念館→汝矣島(63ビル展望台)→市庁・鐘閣→宗廟・昌慶宮→(鐘閣)→狎鴎亭洞→三成(COEX MALL)、23:30ホテルに到着
◎朝食はコンビニのもの、昼食は63ビルのB1Fのロッテリア、夕食は狎鴎亭洞の食堂 

◆自由行動
板門店ツアーを除けばいつも自由行動であるが、1日目は夕方到着で、2日目はほとんど板門店ツアーに費やされ、3日目にしてやっと行きたいところに行けるという旅行の行程だったので待ち遠しかった。朝からいろいろ歩き回る。

◆戦争記念館(9:30-12:30)
これは昨年時間がなくて行けなかったところである。開館と同時に入る。ここでの所要時間は1時間くらいを予定していたが想像を絶するほど建物が大きく、1周するのに3時間もかかってしまった。ゆっくり見ると1周するのに半日くらいかかりそうな場所である。古代から現代に至る戦争に関する資料・模型・実物などがたくさん展示されていた。古代は原始古代の打製石器・銅剣・鉄剣・石包丁にはじまる。これは日本の歴史と同じである。改めて話すことでもないが、日本の文化は朝鮮半島の影響をかなり受けている。古墳などの墓もそうであるし、仏教・儒教、生活習慣までそうである。だいたい古代日本には朝鮮半島からの渡来人がいたわけであるから、私たちにもその血が流れているはずし、知らず知らずのうちに伝統や文化を受け継いでいるのである。中世では騎馬隊に甲冑鎧などの展示。現代は太平洋戦争にはじまり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして、ついこの間の9.11米国同時多発テロの報復戦争まで詳しく展示されていた。特に日本の1945年の降伏文書(複製)まで展示されていたのには目を引いた。戦争の悲惨さを訴えるのがこの記念館の最大の目的でもあるので、特に日本侵略下における貧しくて苦しい生活の様子(模型)や、朝鮮戦争の記録映画など戦争が等身大で描かれている。

護国追慕室、戦争歴史室、韓国戦争室、海外派兵室、国軍発展室、大型装備・防衛産業展示場、(その他)広開土王陵碑など

◆63ビルディング
汝矣島の63ビルディングに向かう。このビルの60Fには展望室があり、南山タワーと並んでソウル市内を一望できる場所である。駅から漢江に沿って歩くこと20分。ビルの真下に到着。おなかが空いていたので先に昼食にする。さんざん探し回ったあげく、ビルの地下1Fのロッテリアに入る。メニューは韓国語と英語が併記されていたが、韓国の外来語も英語と微妙に異なっている。ちょうどそれは日本で「フライドポテト」と言っているのが、英語で「French Fries」(米国)と言うのと同じである。私はつたない韓国語で注文する。昼食が終わった後、展望台のチケットを購入。エレベーターで展望台に移動する。エレベーター乗り場やエレベーター、展望台には幼稚園から小学校低学年の子どもたちがわんさといた。戦争記念館も含めて今日だけで3000人くらいの子どもを見かけたと思う。かなりにぎやかだ。韓国の子どもたちはかなり活発である。活発なのは国民性がものすごく反映されている結果なのかもしれない。ビルは横にかなり揺れていたが、これは子どもたちがはしゃいでいたからではないだろうか。展望台からエレベーターで下りる時も幼稚園児に挟まれる。

◆ソウル市庁
後輩Fの希望で、2002サッカーW杯の時に日本でもよくテレビに映っていて話題になっていた市庁前の広場に行くことにした。昨年ここに来た時、サッカーボールの形をした記念像があった。今年もあるだろうと思って出向いてみたものの広場には何もなかった。本当にあったかどうか記憶もあやしくなってきたので観光案内所のお姉さんに聞いたところ、昨年W杯が終わってしばらくしてから取り払われて、今はサッカースタジアムに移動してしまったらしい。残念だがサッカースタジアムに行く時間はないので断念。そのまま鐘閣を通り、次にソウル5大王宮の1つである宗廟に向かう。

◆宗廟・昌慶宮
ずっとにぎやかな通りを歩く。歩くことおよそ20分。宗廟にたどり着く。時間はすでに16:15になっていた。ここは17:00で閉まってしまう。わずか45分ほどであるが王宮内を見学する。まず世界遺産にも登録されている安寧殿に向かう。ここはとにかく場所は広いし建物も大きい。宗廟と昌慶宮は隣同士でつながっている。時間がなかったので安寧殿を見学した後、そのまま奧にある昌慶宮に向かう。ゆっくり歩いていると1周するのに1時間以上もかかってしまいそうの広さだ。15分くらいだろうか。だいたい雰囲気がつかめたところで引き返す。時間があったらもう少しゆっくり歩きたいのであるが...。宗廟に戻り、安寧殿の隣にある正殿を見学。ここは安寧殿よりも建物の横幅が長い。すべて見学が終わった頃、閉宮の時間になった。宗廟を出た後、約束の時間(後輩Fが友人に再会する約束があった)まで時間に余裕があったので、再び鐘閣方面に引き返す。

◆鐘閣で○○を食べる(内容が過激すぎるので注意!!)
ここは大型書店・CDショップ・屋台・銀行などいろいろ並ぶ街である。そこで○○が売られている屋台を発見。ここで買わなければもう2度と遭遇する機会がないだろうと思い、おばぁちゃんに頼んで購入。₩2000(日本円で約¥200)。頼んだ時、おばぁちゃんが顔をしわくちゃにして、「これ、ほんとうに食べるの?」と言わんばかりの表情をした。半年ぐらい前、あるTV番組でユン・ソナが「これおいしいんです。韓国の女子高生はみんなおやつ代わりに食べているです」と言っておいしそうに食べていたが、本当においしいのだろうか?3日間歩き続けて○○が売られている店はここと1日目に行った東大門市場くらいしかなかったが女子高生にウケるほどそんなにポピュラーな食べ物なのだろうか。何だか頼んでおいて心配になってきた。おそらく一番心配したのは私と一緒にいた後輩Fだと思うが...。そんな不安をよそにおばぁちゃんは「男だからたくさん食べるよね」と言って山盛りに○○を盛ってくれた。何だか嬉しいのやら悲しいのやら...。いやな予感がしていたが予感は見事的中(当たり前といえば当たり前の話だが)。おばぁちゃんからあふれんばかり盛ってくれた○○のカップを渡された瞬間、全身ゾッときた。じつはこうやって日記を書いている今でもゾッとするのだ。しかしこれも経験のうちと思い、爪楊枝に○○を刺して食べる。皮がかたいのでなかなか爪楊枝では刺せない。やっと刺せたところで口の中に入れる。サクッとはいかず口の中でブチッと皮が切れるような感覚がした。人生最悪の歯ごたえ。そして表現できないような、まずくて、不気味な味。2匹食べる。これ以上書けない。興味のある方は
こちら(写真)まで。写真撮影の際に手伝ってくれた後輩Fくん、ありがとう。

◆狎鴎亭洞
○○を食べた後、鐘閣の地下にある永保書店という超大型書店に入る。私はある小説とDVDを探していたが、目的のものが見つからず15分ほどで出る。17:50頃だった。移動時間を含めてちょうど待ち合わせ場所の狎鴎亭駅に行くのにいい時間だったので地下鉄で移動する。16:25狎鴎亭駅に到着。しばらくした後、後輩Fが留学先で知り合ったという女性2人に会うことができた。ここから会話が英語になる。後輩Fの希望でとりあえず、プルコギが食べられる店に行くことになった。バスに乗る。運賃は₩700(¥70)。初めてのバスだった。有名な話だが韓国のバスは停留所で待っていても乗せてくれない。客が乗るという主張をしない限りバスは止まらないのだ。日本のようにサービス過剰で親切ではない。ついでにバスに乗るに当たっての注意事項をもうひとつ書こう。バスに乗る際、きっちりとした小銭を持っていないと乗せてくれない。じつは3回目に乗ったバスでたまたま小銭を切らしてしまい下ろされた。これはこのバスだけに限らず韓国のどのバスについても言えることだ。夜の道はかなり渋滞していて、その上、運転手の運転はかなり荒いものだった。

◆プルコギ
10分くらいしてやっと1つ目の停留所に到着。そこで降りる。降りたところは狎鴎亭の中心であるロデオキル(ロデオストリート)。ここはいろいろおしゃれなショップが立ち並ぶエリアである。ショッピングには格好な場所だ。しばらく歩いたのち、ちょっとおしゃれな食堂(レストラン)にたどり着く。女性はプルコギがあるかどうか聞いていた。結局はいることになり2対2でテーブルを囲んで座る。いろいろ話弾んだ。昨日食べた海鮮料理のミドトク(미더덕)という謎の食べ物や、先ほど食べた○○のことなど食べ物の話、観光場所の話、韓国文化の話、あとは留学先での話などなど。後輩FはTOEIC700点以上のスコアの持ち主で英語が途切れなく出てくる。うらやましい限りである。女性2人も留学しているだけあってかなり英語がしゃべれるようだ。私の英語力はというと...聞き取ることはできるがしゃべることができないというレベルで、一番もどかしい思いをした。ここ一番肝心な時に英語より韓国語の方が出てくるのはどういうことだろうか。私の中学から大学2年までの英語教育の成果はこんなものなのだろうかと思った。本当に分からない時は後輩Fに通訳を頼む。英語の必要性を感じた瞬間でもあった。これから英語の勉強をやり直そう。

◆おまけ
女性2人にDVDショップを案内してもらった。夕食もおごってもらって、その上、いろいろ店を案内してもらい何だか申し訳ない気分だった。狎鴎亭駅付近のショップで探していたDVD2枚が見つかる。『8月의크리스마스』、『화이트 발렌타인』購入。最後に4人で記念写真を撮って別れる(22時頃)。

◆三成(COEX Mall)
22時過ぎ、まだまだ時間があったので(?!)、最後の最後、三成のCOEX Mallに行く。ここは2000年5月にできたばかりの場所で貿易センタービルの地下に広がっているアミューズメントスポットである。映画館、水族館、キムチ博物館、食べる店、大型書店、CDショップなど行きたいところがぎっしり詰まっている場所である。しかし到着したのは22:40頃。ほとんど店は閉まっているか、閉まりかけていた。たしかにガイドブックには23時頃までとか、店によって閉店時間が異なるなどの説明があった。雰囲気だけでもつかむため1周する。帰りに大型書店に入り、23:00の閉店間際までいろいろ散策する。探していた小説は見つけるのが大変なので断念。聞けばなんとかなる話だが、閉店間際で店員もほとんどいなかったので断念することにした。外国語コーナーに「日本語」があったので立ち読みをする。韓国では、日本は比にならないほど日本語(外国語)教育は盛んだ。何しろ高校の「第2外国語」の選択授業で「ドイツ語」「フランス語」「中国語」に並んで「日本語」があるくらいだから驚いてしまう。棚2列にわたって日本語の参考書がずらりと並んでいた。何冊か手にしてみた。私が韓国語を勉強するのにいい本があったので気に入ったもの3冊を購入。日本では¥2000以上もしそうな分厚い参考書だったが、韓国では¥700くらいで買えてしまうので魅力的だ。しかも文章は韓国人の書いた韓国語だから言うことなし。閉店時間になり書店を出た後、コンビニでビールと明日の朝食など買ってホテルに戻る。

◆帰りの電車の中で
韓国は儒教の社会である。ただし宗教構成では仏教約19%、プロテスタント13%、カトリック4%で、大部分はその他に入る。儒教は2%しかない。日本と同じように生活の中に儒教の考え方が浸透しているのである。しかし日本のそれとは比べものにならないほど儒教の精神が浸透している。たとえば食事をする際、どんな状況でも年長者が食べるのを待たなければならなし、年配の人がいる前ではぜったい煙草は禁物だ。酒の席では体を横に向けて飲まなければならない。ただこんなに律儀な国なのに、電車に乗るときは降りる人と乗る人が一斉にに動き出す。こちらは日本の方がマナーがよい。マナーの違いをあげればきりがないのでここまでにしよう。私たちが乗った電車はおそらく終電間近だったようだ。かなり混雑していた。車内では電話している人、仲間と大声でしゃべっている人たちでにぎわっていた。韓国では車内での携帯電話はOKである。わざわざ地下鉄に電波を通しているぐらいだから寛容な国だ(地下鉄は全線で電話が出来る)。車内はアルコールのにおいが充満していた。韓国人はよくしゃべる。まるで午前中、戦争記念館や63ビルディングで見かけた子どもたちをそのまま大人にしたかのような雰囲気だ。韓国人は活発だ。私はこういう雰囲気が好きだ。車内はいかにも“韓国人”らしさが充満していた。私の目の前には、会社帰りで途中どこかで夕食をとってきたような女性4人組がいた。3人は立っていたが、1人は座ったまま話をしていた。そこに突如、年寄りの男性が「席を譲れ!(怒)」と怒鳴りながら女性の前に現れた。女性はすぐにその年寄りに席を譲ったが、この事件を目の当たりにして「韓国は主張する国」だなぁと改めて思った。バスに乗車するときもしかりである。こういう国民性は時にうらやましく思える。

◆帰りの支度
ホテルには23:50頃到着。その後、ミーティング(饗宴)。後輩Fはシャワーを浴びてすぐ寝てしまった。私は深夜3時頃までテレビを見ながらスーツケースの準備をしていた。韓国でも日本と同じように深夜にドラマが再放映されている。それにしても韓国海苔(김)とDVD11枚のせいでスーツケースはいっぱいだ。明日のキムチ(김치)は手荷物になるか...。


   
 s戦争記念館

    
 漢江沿いの緑地公園

    
 ソウルの中心を流れる漢江

    
  国会議事堂(写真中央のドーム型の建物) 

    
  高層マンション群(ソウルの至る所で見られる)

    
  漢江沿いの道路(いったい何車線あるのだろうか)  

    
 ソウル市庁前(W杯時にあった記念碑は撤去された)

  
  徳寿宮(入口の門)

 
  
宗廟・永寧殿(1995年にユネスコ世界文化遺産に登録された)

  
 
 屋台で

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