2003年9月25日(木) ソウルの旅2日目 板門店(38度線)
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天気(快晴) 最高気温℃ 最低気温℃ 湿度%
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●明洞→統一展望台→板門店→明洞→南大門市場→南山タワー◎朝食はコンビニのもの、昼食はツアーのバイキング、夕食は明洞の食堂
◆板門店ツアーへの参加方法 いよいよ待ちに待った板門店ツアーである。この板門店ツアーを扱う旅行社は現在のところ、大韓旅行社と中央高速の2社しかない。いずれも事前に申し込みが必要だ。ツアーの申込み期限は参加希望日の2日前で、繁忙期でなければ韓国に着いてから申込みをしても大丈夫だ。しかし、もともと外国人にとってかなり人気があるため予約が取れない可能性が大だと考えた方がいい。☆私はこのツアーがかなり人気があることを知っていたので、予定の3日前(つまり旅行の前日)に国際電話で申込んだ。余裕を持って申し込んだのだが、それでも私たちの座席は一番後ろだった(申込みが一番最後だったようだ)。運が良かったのだ。 ☆一度に板門店に入れる人数は86人までと決まっている。これは板門店の中を移動するバスの座席数と台数の関係のためである。
◆明洞-板門店ツアーのはじまり- 板門店ツアーは、明洞ロッテホテルの新館2Fの大韓旅行社の事務所前に集合する事になっている。それまでパスポートの確認・ツアー代の支払いなど諸手続をしなければならない。早朝、気合いを入れて早めに出発をする。明洞駅9:00到着。1時間以上も早く着きすぎた。そこで周辺をぶらぶら歩くことにした。繁華街といえども朝になれば静まりかえっている。去年と同じ風景だ。去年もこの時間にこの街を歩いていた。(☆参照)時間があったので板門店ツアーから戻ってきた後の行動のために下見をすることになった。街のいたる所に俳優のポスターがあった。ハン・ソッキュ、ウォンビン、ペ・ヨンジュン、コ・ソヨンなどなど。もちろん韓国通でないと誰が俳優なのかも分からない。1年前だと絶対に分からなかったことである。後輩Fが発見したのであるがスポーツ店に中田英寿のポスターが貼ってあった。1周歩いてちょうど時間が良かったのでロッテホテル新館2Fのツアーカウンターに向かう。10:30板門店ツアーのはじまりだ。 ☆昨年もソウルを訪ねた。私が渡韓した日の前後1週間ほどは旧盆だったためほとんどの店が閉まっていた。帰国日はさらに状況がひどく、免税店以外どこも店が開いていないという状態だった。お土産を買うのが大変だったことは言うまでもない。。(太陰暦という暦の性質上)旧盆の日程は毎年変わるのでよく調べてから旅行した方がよい。これは中国についても同じ事が言える。
◆自由路 板門店はソウルの北北西に位置する。市内から自由路という6車線の広い道を走ることになる。この道をまっすぐ行けば北朝鮮まで行くことができる。しかしそれは地図上での話だ。実際には行けない。南北和解ムードが高まってはいるが、まだ南北統一の兆しはない。道は南北が統一した時のことを考えて、もう2車線ほど増やせるようになっている。自由路を走っていると何度かコンクリート製の門を何度か通り抜けることになる。これは軍事上のタンクゲートである。万が一北朝鮮が韓国に攻め入ってきた場合に、このバリケードのブロックをダイナマイトで破壊して道を寸断し、敵が容易に侵入して来れないようにする役目を果たしている。この地域が非常時には戦場になるということを改めて感じさせるモニュメントだ。市内からバスで約50分くらい走ると最初の検問所に到着する(その前にオドゥ山統一展望台の見学がある)。この手前付近からは写真撮影は一切禁止になる。昨年参加した時は、ソウルを出てすぐのところから写真撮影が禁止されていた。統一路を走り出すと100mおきに写真禁止マークの看板が立っていたが、今回は統一路ではなく自由路を走っている。この道路には写真撮影禁止の看板はないようだ。そういうこともあり検問所のずいぶん手前まで写真撮影がOKなった。私はできうる限りバスから写真を撮り続けた。しかし、さすがに検問所が近くなるとバス添乗員は写真撮影と団体行動について何度も何度も繰り返し注意を促していた。軍事上の施設なので本当に写真撮影はダメになる。もし写真撮影が発覚した場合はしかるべき処分が下されるし、また身勝手な行動を取って命がなくなった場合は補償もされない。それだけ南北が緊迫している場所なのだ。この感覚は平和ボケしている日本人には絶対分からないであろう。検問所でバスに乗車しているすべての人がパスポートを見せなければならない。銃を身に付け、迷彩服を着た韓国兵がバスに乗り込んで1人1人チェックする。点検中もバスの外ではたくさんの韓国兵が警備している。この検問所は臨津江のすぐ手前にあり、ここでチェックを終えて異常がなければバスはそのままコンクリート製の橋を渡ることが許可される。ここから映画『JSA共同警備区域』のはじまりと同じシーンになるのだ。
◆オドゥサン統一展望台 板門店に行く途中にオドゥサン統一展望台に寄った。オドゥサンとは軍事分界線(=国境)の近くにある小さな山(海抜118m)の名前で、漢江と臨津江が合流する地点にある。この展望台の前を流れる河の真ん中で韓国と北朝鮮に分かれる。川幅3.2kmほど隔てた対岸は北朝鮮の村で北韓宣伝村という。宣伝村とは北朝鮮が国力を見せつけるために作られたような村だ。アパートのような建物がいくつか見えるが実際に建物の中には人が住んでいないことが分かっている。国力を見せつけるどころか、いかに経済状態が悪いかを暴露しているようなものである。他に金日成史跡館、人民学校、人民文化会館、対南放送基地などが見える。対南放送基地とは韓国の放送電波が北朝鮮に入らないようにここでシャットアウトし、この基地からすさまじい音で韓国側に北朝鮮の宣伝や暴言を放送するのだ。これが宣伝村という名称が付いた由来でもある(2002年に南北の会談が行われてからは静かになったらしい)。この展望台は軍事分界線(=国境)と約3kmとかなり接近しているにもかかわらず、民間人統制線(民統線)の外側にあるため韓国に住む一般人が手続きなしで自由に訪れるところのできる貴重な場所だ。展望台から見ると、北朝鮮が歩いて行けそうな距離にあるのが分かる。以前は北からの侵入者(工作員)が試行錯誤でこの川を渡ってきたらしい。対岸に「同じ民族で戦うのは反対」という文字が掲げられている(この文字も2002年南北会談前は韓国を侮辱するような文字が書かれていたらしい)。バスの中で添乗員が言っていたので注意して見ていたのだが、北朝鮮の山々はほとんどが地肌が見える。これは監視するために伐採したとか、建築物の木材が不足していて伐採したとか、燃料がないので伐採したなどいろいろ言われているが、実際のところ後者の2つが理由ではないだろうか。(☆参照)最上階の展望室で説明を聞いた後、展望台に出る。じっくり北朝鮮の様子を見る。こんなに間近で見ることはなかなかできない。南北統一の日が来れば別だが、まだまだ統一されるかどうかも分からない。次に資料室に向かう。ここには北朝鮮関係の資料が展示されている。北朝鮮バッジからはじまり、金日成の写真が入った切手、ライター、工作員が実際使っていた工作道具、服装、陶芸品などどうやって入手したんだろうと不思議に思うくらいいろいろなものが展示されていた。資料室の奧の方に入ると北朝鮮の学校の中の様子や家庭の様子がほぼ実物大で再現されていた。家の中は韓国の一般の家庭とさほど変わらない。変わっている点といえば壁に金日成、金正日の写真が飾られている点であろうか。ゆっくり見たいのに時間がない。添乗員に追い立てられながらバスに戻った。 ☆後ほど聞いた話であるが、もともと朝鮮半島は硬い花崗岩に覆われていて、土の成分はそれが風化したものがほとんどらしい。確かにセマウル号(ソウル-慶州)やKTX(釜山-ソウル)などから見る車窓からは、土地の様子が目視できる。植物が育つには良い環境ではなさそうだ。今はこの理由が一番納得できる。2004年5月4日追記
※軍事分界線(38度線)の前後2kmに北朝鮮側に北方限界線、韓国に南方限界線があり、韓国側にはさらに2km離れた場所に民間人統制線(民統線)が設けられている。民間人統制線は文字通り、一般の韓国人は入ることはできない。板門店に行くには民間人統制線と南方限界線を越えなければならないので、一般の韓国人は板門店ツアーには参加できない。板門店見学は外国人の特権でもあるのだ。ところでオドゥサン統一展望台付近は民間人統制線が海上分界線と交わるような形で切れているので、ほんとうに間近で北朝鮮の様子を見ることができる(板門店の中では北朝鮮の様子を知ることができないので北朝鮮の様子が見られるのはここだけしかない)。
◆板門店に入るまで 先ほどの検問所は民間人統制線(民統線)の入り口部分にあたり、この付近は臨津江に沿って民間人統制線が設けられている。板門店はこの検問所からバスでさらに走ったところにある。バスに乗っていて次に止まる検問所は南方限界線のあたり(国連軍司令部前方基地入り口付近)にある検問所である。どの地図も民間人統制線(民統線)を超えると表示がなくなる。当たり前の話であるが。この検問所では見学者全員バスから降ろされる。車内のチェックが入るのだ。このチェックが終わると再び全員このバスに乗る。ここから韓国兵1名が同乗する。この韓国兵の腰には拳銃が据え付けられている。見学者を守るための兵だ。ちなみに共同警備区域内にいる韓国兵は身長が176cm以上で英語に優れ、テコンドー有段者(何段か忘れてしまった)という条件がある。軍事最前線だけあって国内の一流の軍人が配属されるのだ。もちろん兵役中の20歳-25歳くらいまでの若者だ(韓国では全国民に兵役の義務がある、陸軍は2年2ヵ月、海軍は2年6ヵ月、空軍は2年6ヵ月、ただし身長制限・病気・国家の重要人などは一部または全部免除されることもある)。国連軍キャンプ内に入ると今度は国連軍のバスに乗り換えることになる。乗り換えた後、まずは米軍キャンプで食事タイム。区域内は写真撮影は禁じられているのでうかうかしていられない。昼食は洋式バイキング。ここでお年をめした男性2名と同席することになった。ずいぶん品のある方で、「先に食事を取ってきて下さい。私たちはここで荷物を見張っていますから」と言って下さった。お言葉に甘えて私たちは先に食事を取りに長蛇の列の最後尾にならんだ。食事を持って私たちが席に戻ってきたのであるが、お二方はすぐには列にならぼうとはせず列がなくなるまで待っていた。私は第六感でこのお二方はかなりすごい人物だと分かった。この後、このお二方はあの有名な教科書会社「東○書籍」の社長と専務だということが分かった。社長と専務は、韓国の歴史教科書の展示会か何かで韓国政府から呼ばれたらしい。「昨日は大田の民族○△□村(?)に行って来たよ」と言っていた。私はそこで「バスで行ったのですか?」と尋ねると、「いや、向こうがリムジンを用意してくれて...何人乗りのものか分からないけど2億ウォンするとか言ってたなぁ」と。車の中でお互い向き合っていたような感じのことを言っていた。2億ウォンは日本円で約2千万円だ。韓国の物価(日本の3分の1から半分くらい)を考えると超最高級のリムジンということになる。いろいろ話しているうちに滞在しているホテルがロッテホテル(韓国で最高級)だとか、飛行機はビジネスクラスだとか、すべての費用は韓国側持ちということなど分かると、まるで違う世界にいる人みたいに感じてしまった。品のある方だったのでなおさらだ。私も後輩Fも食事が喉をうまく通らなくなってしまい、おかわりするはずの食事がおかわりできなくなってしまった。そうこうしているうちに板門店ツアーの説明の時間になった。
※(英語教科書『ニューホライズン』の採択率全国6割を持つ会社、ちなみに私も中学時代はお世話になった)
◆板門店 板門店はもともと昔からこの地にあった地名だ。しかし朝鮮戦争が休戦状態になってから(まだ終わっていないのだ、この感覚は日本人には分からないだろう)、軍事分界線(38度線)や休戦協定場の代名詞にもなった。この後見学する場所は、正式には共同警備区域(JSA=Joiut
Security Eria)という場所だ。まずはスライドで説明を受ける。説明は朝鮮戦争、北朝鮮発足、韓国発足、民族の分断や工作員の話、共同警備区域、「おの殺害事件」まで及んだ。この説明は軍事機密事項も含まれているので写真撮影・録音は禁じられている。そして、ここでかの有名な「命の保障はしません」の誓約書に署名する。
◆明洞 17:30頃板門店ツアーは解散。ロッテホテルを出て明洞の繁華街に向かう。明洞は渋谷のセンター街のような街である。ただ渋谷とは違いかなり清潔感溢れる街だ。ここでショッピングタイムにする。後輩Fは洋服を、私はDVD・CDを探しに出かけた。朝、下見をしていたから街を歩くのはずいぶん楽だ。私は韓国映画のDVDを探した。ほとんどの映画には字幕が入っている。もし韓国語の字幕が入っているならそれで勉強できだろうかと思ったのである。そこで韓国語字幕が入っているものをあらかじめ日本で調べておいたのだ。DVDに関して注意すべき点が1つ。DVDには地域によってリージョンコードといものがあり、コードは1から5まである。韓国や米国はコード1。日本はコード2だ。これは市場を確保するために使い分けされていて、コードが違うとDVDプレーヤーで再生しても見ることが出来ないようになっている。たとえば同じ映画が韓国と日本で売られた場合、DVDの価格は物価に比例するので絶対韓国の方が安い(現在だと半額ぐらい)。そうすると韓国で発売されたDVDを輸入して日本で売った方が安くなるのだ。このような事態になると日本で正規品が売れなくなってしまうのでリージョンコードが使い分けされるようになった。しかしすべてのプレーヤー再生できるリージョンコードallというのもある。私はそのリージョンコードallのDVDを探していた。探せば何件かはある。そういうことを事前に調べておいて探しに来たのだ。説明が長くなってしまったが、DVDを何枚か購入。その後、後輩Fのショッピングに付き添う。洋服に関してはあまり分からないが、私の見る限り日本とそれほど価格が変わらないような気がする。あとから聞いた話であるが、明洞はほかのところに比べて比較的物価が高いらしい。20:00頃夕食。食堂に入る。日本語も少し通じる店だった(明洞は基本的に日本人観光客がたくさん来るので、特に食堂など日本語が通じる店が多い、しかし店員も片言しかしゃべれないのでやはり韓国語を勉強しないとダメだ)。キムチチゲと海鮮鍋を頼む。韓国の食堂はどんな料理にもキムチやカクテギのようなものが付く。そしておかわりも自由だ(ご飯も含む)。料理はすごくおいしかった。キムチチヂミはたまらなくおいしい。鍋のスープも格別だ。店内は暗かったので鍋の様子があまりよく見えなかったのだが、その時撮った写真で見ると鍋もチヂミも食べ物すべて赤かった。さすが韓国。ただひとつだけ謎の物体が鍋に入っていた。この物体はかたくて、歯でかみ切ると中からものすごいまずい汁が出てくる。いったい何という食べ物か店員に聞いてみた。ミトド(미더덕)という食べ物らしい。いったい何なのか。結果は最終日のメモで。夕食代約30000ウォン。
◆南大門市場 おなかいっぱい食べたところで南大門市場まで徒歩で歩くことにした。明洞から駅1つ分のところにある。歩行中、突然の腹痛に襲われ近くのデパートの化粧室に入り込む。そういうトラブルはあったものの体は至って良好だ。ほどなく南大門市場に到着。夜9時頃なのに南大門市場はにぎやかだ。とりあえずメインストリートを歩く。途中で海苔を購入。私は韓国海苔が大好きである。店員のお兄さんは日本語が本当に堪能だった。道を歩いているといろんな店のおばちゃんから「食べて行かない?」と声をかけられた。よく見ると市場には日本人観光客がけっこういるのだ。「フランスに行けば4人に1人は日本人だ」と皮肉った言葉を以前聞いたことがあるが、ここも4人に1人という状態ではないが、けっこう日本人が多い気がする(屋台で食べているのはほとんどが日本人だ、韓国人は市場内の屋台ではあまり食べないようである)。南大門市場を一往復した後、南大門(正式名称は崇礼門)に向かう。この時、時間は22時前後だった。最後に南山の頂上にある南山タワーに登ってソウルの夜景を見ることにした。
◆南山タワー 22:20山ロープウェイ(韓国ではケーブルカーという)乗り場に到着。チケットを頼もうとするがロープウェイの下りが23:00が最終便らしい。登りの最終便は次の22:30だからロープウェイを使って降りるならば頂上にいられるのは正味30分弱になる。頂上で降りて、それから30分間で展望台まで行って帰って来れるかが問題だ。正直なところかなり無理があるように思われた。往復チケットにするかどうか迷っていたところ、日本語のできる若い女性が現れたこと、さらに後輩Fの後押ししたこともあり、結局往復チケットを購入することになった。最終便に間に合わなければ、徒歩で下山すればいい話だから...(30分以上かかるかもしれないが)。結果からいうと下りの最終便に間に合ったわけであるが、少し焦ったのも事実である。さてロープウェイを降りて、すぐ南山タワーに向かった。1Fからエレベーターで上がる。タワーの高さは約230mで南山の標高265mを足すと500mの高さにもなる。東京タワーが全長333mで展望台はというと250mだからいかに高い位置から見ているか分かるだろう。ソウルの夜景は最高だ。どこまで見渡してもきれいだ。東京の夜景と比べものにならないほどきれいだ。後輩Fもあまりのきれいさに言葉を無くしていた。漢江付近は高速道路や一般道が走っているので、まるで空港の滑走路のように見える。ソウルの街は、街全体が密集していて、しかも夜は活気があるので(デパートはだいたい翌朝5:00までやっているくらいだ)ほんとうにきれいだ。これはおすすめのスポットだ。23:00下山。23:30駅最寄りの明洞駅到着。深夜0時ホテル到着。今日もよく歩いた。
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 市内のバス(きちんと小銭を用意しないと乗れないことも...)
 漢江に沿って林立する超高層マンション
 臨津江沿いに38度線に向かって走る自由路

タンクゲート(緊急時にダイナマイトで爆破し道を封鎖する)
 北朝鮮(山には木がほとんどない.地肌が見えている)
 北朝鮮バッジ(統一展望台の資料室)
 板門閣(北朝鮮)を臨む(手前の建物中央に軍事境界線)
 南北会議場(この会議場の中に限り北朝鮮側に入れる)
 軍事境界線(左側が北朝鮮、右側が韓国)
 南大門
南大門市場
 ソウル市内夜景(南山タワーから)
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