2005年12月29日(木) 韓国の旅
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天気(快晴) 日中の気温0.8℃
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●仁寺洞→鐘閣駅→鐘路3街駅→議政府駅→新炭里駅→議政府駅→三成駅→旅館(仁寺洞)→鐘閣付近(東和免税店,教保文庫,清渓川,永保文庫)→旅館(仁寺洞)
◆鉄原・月井里(鉄の三角)展望台 私は,38度線付近には過去に3度行ったことがある。いずれもソウルからバスで統一路などを通ってオドゥサン統一展望台や,臨津閣公園などに立ち寄って北朝鮮を眺めながら,最終的に板門店や都羅展望台や南侵第3トンネルに行くというコースである。これらは最短距離で,しかも日本人旅行客にはかなり馴染みのある観光コースである。しかし今回は思考を変えて,あまり日本人に馴染みのない場所に行こうと思った。これは韓国語学習者の強みでもある。それで行くことになったのは鉄原・月井里(鉄の三角)展望台コースである。ツアーの出発点となる新炭里駅は,ソウル中心部から列車を乗り継いで約2時間かかる,かなり田舎にある。見所を説明する前に,鉄原について説明しなければならない。「38度線」とは韓国と北朝鮮の軍事分界線を差す言葉で,事実上,国境を意味する。しかし,この国境は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争以降,かなり変更されてきた。一時期は韓国側がかなり北の方に食い込んだこともあったが,また一時期は北朝鮮側がかなり南の方に食い込み,韓国が崩壊寸前ということもあった。1953年に北朝鮮軍と国連軍(国連は韓国の見方になった)とで休戦協定が結ばれ,軍事分界線(38度線)が引かれることになった。しかし38度線といえども,実際は西側では38度線より南で食い込み,東側では北に食い込んだ形になっていて,正確には国境は緯度の通りにまっすぐ直線にはなっていない。その中で韓国側が最も北に食い込んでいるのは,鉄原や月井里(鉄の三角)展望台なのである。しかし残念ながら,このツアーは大手旅行社では扱っていない。唯一頼りになるのが,「安保観光」という旅行社である。韓国人向けのツアーであるが,このツアーに参加すれば「鉄原・月井里(鉄の三角)展望台」が見られる。このツアーの見所は,白馬高地,月井里駅跡付近(列車の残骸も),鉄の三角展望台,南侵第2トンネル,旧朝鮮労働党党舎跡などである。白馬高地は朝鮮戦争で北と南がにらみ合った激戦地であり慰霊塔があり,そして月井里駅跡付近には原型を留めないほど破壊された列車の残骸と,移築し再現された月井里駅がある。鉄の三角展望台ではDMZ内と北朝鮮が見渡せる(撮影禁止)。南侵第2トンネルは北朝鮮が韓国に攻めることを想定して秘密裏に掘っていたトンネルで,近年発見されたものであり(撮影禁止),旧朝鮮労働党党舎跡には,ソ連式の無鉄筋工法による古びた建物がお化け屋敷のように建っている。「鉄原・月井里(鉄の三角)展望台」ツアーとは,そのようなツアーである。
◆ソウル市内から議政府駅 朝7:30に仁寺洞の旅館を出発。最寄りの地下鉄3号線安国駅に行き,コインロッカーを探す。駅員に聞いて行ってみたものの,荷物が入らない。そこでそのまま列車に乗って鐘路3街駅に行き,そこでコインロッカーを探すことにした。乗換駅の鐘路3街駅でコインロッカーに荷物を預ける。荷物を預けると肩の荷が下りる。その後,地下鉄1号線乗り場に向かう。漠然と上の方を見ていたら,青いラインの入った列車が轟音をたてて入ってきた。パンタグラフからバチバチと,ものすごい火花を散らせていた。大丈夫なのだろうか?それは何かの前兆のように思えた。しかし気にせず私は乗る。列車は議政府駅に向かう。1号線は鐘路3街駅から6つ目の駅,会基駅を通り過ぎたあたりから地上に出る。しかも,そこはデッドセッションになっていて,交流(地下鉄)から直流(国鉄)に変わるポイントで列車の電気は一斉に消える。その間,列車は非常灯をつけたまま惰性で走る。時間にして1分ぐらいなのだが,奇妙な感覚を覚える。そして,さらに列車に揺られながら終点の一つ手前,議政府駅に到着した。ソウルの中心部,鐘路3街駅から約1時間40分。そこは,私が想像していた「ソウル」とは違った田舎と都会の狭間にあるような場所だった。
◆議政府駅から新炭里駅 9:45議政府駅で降りると,隣のホームに前面が青と緑で塗りつぶされたディーゼル型の列車が停まっていた。もうすでにお年寄りがたくさん乗っている。出発時間が迫っているのかと思い,急いで改札を出て切符を買い直す。1400ウォン(日本円にして140円程度)。切符に記された時刻を見てみると,出発時間10:20。まだ時間に余裕があった。駅ビルの書店などぶらぶら歩いた後,改札を通りホームに降りる。列車は5両編成。どの車両にはたくさんのお年寄りが座っていた。私は前から4両目に乗り,空席を探した。車内の座席はボックス席である。ボックス席で向かい側になるのはどうも苦手である。これは韓国であろうが日本であろうがやはり落ち着かないのには変わりない。しかし何しろ,これからさらに1時間以上も乗るわけだから席に座るほかない。車内は登山客でにぎわっていた。そして定刻の10:20になり列車は静かに動き出した。大きく蛇行しながら時速30-40km程のスピードで走る。私は景色を見ながら,ふつうの観光客になっていた。列車に揺られること1時間。議政府駅から8駅目の全谷駅で乗客の大半は降りた。
【京元線停車駅】 議政府→州内→徳亭→東豆川→東安→逍遙山→哨城里→漢灘江→全谷→漣川→新望里→大光里→新炭里
◆新炭里駅 議政府駅から1時間20分。ゆらりゆらりと揺れる列車はある駅に向かっていた。私は睡眠不足だったせいもありウトウトしていたのだが,「次はチュンチョン駅です」という列車のアナウンスに一瞬耳を疑った。「チュンチョン駅(春川駅)」と言えば韓国ドラマ「冬のソナタ」の舞台になったところ。窓から見える外の雪景色とドラマの雪が重なり合った。しかし周りの人は降りる準備をしているではないか。……なるほど。私が聞き間違えたのである。「チュンチョン」(正確にはチョンジョム)とは「終点」なのである。ハングルにすれば全然違うのであるが,油断していると同じ発音に聞こえてしまうのである。以前,この逆のケースがあった※。ソウル中心部から乗り換えや待ち時間などを入れて約3時間30分。ようやく終点,新炭里駅に着いた。列車を降り,駅舎を出ると2車線の道と手前に小さな山があった。しかし,それしかない。人の気配もなく,駅に停まっていたバスが行ってしまうと物音何一つ聞こえなくなってしまった。 ※景福宮からタクシーに乗った時のこと。「シンチョン(新村)までお願いします」と言ったはずなのであるが,「市庁(シチョン)」の前で降ろされてしまった。細心の注意を払って話したのであるが,タクシーの運転手は私を外国人観光客だと思ったのであろう。観光地として見所のたくさんある「市庁」に向かった。韓国人でも間違えられることがあるらしく,こういう場合,「○○(建物)がある□□まで」とか「△△大学の前の××まで」と言うほうがはるかに間違いが少なくなるということを後から知人に聞いた。
◆旅の結末は... 駅のすぐ前に,「安保観光」の看板が見えた。鉄原・月井里(鉄の三角)展望台ツアーの受付場所である。しかし,よく見ると店の入り口はシートで覆いかぶされていた。入り口は横の食堂からかと思ったのであるが,食堂とはつながっておらず入れない。電話をかけたいのであるが,公衆電話は見つからず,結局,駅に引き返して駅員に聞いてみた。そうすると意外な答えが返ってきた。 「もうあの店はやっていないよ。だからツアーもないよ。」 念のため,もう一度聞き返したが,返事は同じである。ないものはない。もう一度,旅行社の前まで行ってみる。さっきの店を覆っていたシートをよく見てみると,食堂のメニューが書かれていた。 「直接発酵させたチョングッチャン※1,ヨルム・ボリ・ビビンバ※2,スンドゥプ※3,黒豆豆腐」 なるほど。本当に旅行社はないようである。そこで,ふと気がついた。旅行社の前に一人の女性が立っている。もしかしたら旅行客かもしれない。白いジャンバーに長い黒髪,年齢は20代ぐらいの女性である。しかし,その人がどう見ても日本人にしか見えなかった。そこで私は後ろから日本語で声をかけてみた。 「あの〜,日本人ですか?」 すると女性はすぐに振り向き「はい。」と答えた。その瞬間,ダムが決壊したように私は話し始めた。しかし,何を話したかほとんど覚えていない。ただ,旅行社はもう倒産してツアーがないという話はした。それ以外はあまり覚えていない。ただ話をしていて,彼女は日本から来た観光客であること,以前私が参加した板門店やDMZツアーなど,すでに行っていること(つまり初めての訪韓ではない)などは分かった。ほんの数分立ち話をした後,彼女は駅の方に向かい,私は駅とは反対側の方向を歩いていた。何となく駅付近の様子が気になったのである。道に沿って歩く。民家の壁から70代のおばあちゃんの姿が見えた。昔ながらの家である。おばあちゃんは家と庭を忙しそうに往復していた。私はどうしてもさっきの旅行社のことが気になる。確認の意味を込めて,そのおばあちゃんに旅行社のことを聞いてみることにした。そうすると「安保観光ね。去年倒産しちゃったよ。もうないの。」という返事が返ってきた。これでさっき駅員の話が半信半疑の気持ちから確信へと変わった。旅行会社は昨年,倒産したのである。私はソウルに引き返すことにした。 ※1大豆を発酵させて煮込んだご飯のおかず ※2ダイコン・麦の入ったビビンバ ※3圧して固める前の水気の多い豆腐
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