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クロ物語 |
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年表 |
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友人のKさんから、家庭の事情で猫の里親を捜しているの、如何?
子供たちも成長して勝手な行動ばかり、ここらで面倒を見てあげる
家族が増えても良いのでは・・トイレ付で引き受けました。
息子と車で六本木のKさん宅へ、何故か帰りの道を間違えて
気が付けばラブホテルの前、「息子と来る場所じゃないね」
娘は、猫に話し掛けている私の側にきて
「へえ、お母さんもやさしい言葉を使えるんだ」
「昔はこうやって、あなた達を育てたつもりですけれど・・・」
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1986 06 |
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シャム猫が野良猫と浮気して生まれた猫だけあって
外見はシャムで、本性は野良の盗みの得意なイケメン猫。
名前はクロ。私は長い間、仕事仲間には恋人と吹いていた。
実際にベットインしていたからね、私たち!
当時はマンション住まいのため、やむなく手術してニュー・ハーフに!
渋々病院へ連れて行った息子の一言
「猫のソープランドがあれば、一回でも経験させてから玉を取って
やりたいな」 同姓としての彼の心情は肯けました。
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1986 09 |
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大病を患った母の希望もあって、同居の家を新築。
一生懸命お金の工面をして・・・!息子曰く
「夜中に鬼のような顔をして電卓たたいてたね」
友人の建築家に依頼、真っ先に設計してもらったのがクロの部屋。
「あれ、俺の部屋、前の家より狭いや!」 息子の感想、当たり前だろ
おちょくるだけで、全然無関心だったくせに!
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1994 07 |
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引越し当日は、ゲージに入れたクロとトイレと子供達が一番乗り。
屈強な男達の足音や、家具や荷物の移動の騒音におびえ、2日間
クロはこの部屋に閉じこもったまま。
出てきた時は腰が抜けて、まるで狐の襟巻きが床を這っている状態。
でも1週間後には、我が物顔で家中を走り回っていました。
トイレと食事が一緒の部屋で、ちょっと手狭ですがロフト付き。
餌とトイレ用品、ブラシや爪きり、マタタビまで揃えて収納できます。
普段はリビングのソファーですから、苦手な来客の時の避難所かしら。
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1994 08 |
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ニュー・ハーフにも恋の季節はお訪れます。
発情期で猫が雄たけびを上げる声に耳を貸しながら
懐かしいような、でも覚えが無いようなそんな風情でしたが・・・
ある時、突然、全く!風采の上がらないヤクザな男(?)に恋をして
家を出たまま3日間。音信不通!
電信柱に写真を貼って、声を嗄らして捜しつづけて2日目は
必死にパソコンに向かい「クロの捜索願い」の原稿作り、
新聞の折り込み広告を依頼しました。
ご近所に500部程度は通用せず、最小ロットは5.000部との事
母も震える手に3万円握り締めて、「これで探してやって!」
ところが、戻ってきました、男に捨てられ疲れきったクロが!
しかも新聞配達前日に!勿論、新聞チラシはキャンセルに。
購読者とあって、印刷代のみの請求で済みましたが、それ以来
我が家のメモ用紙は、B5サイズの「クロの捜索願い」の裏紙です。
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1999 05 |
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男(?)に懲りたと見え、以後の半生は 「年増殺しの黒兵衛」と称して
母の愛猫と化し、孫に結婚の兆しが無いので、ひ孫代わりにおんぶされ
「ねんねんころり、おころりや」と尻をたたかれながら寝付く始末。
クロのために、必ず誰かが家に残り、故に家族旅行も、
全員そろっての外泊も禁止。
我が家の生活は、全てクロを中心に成り立っている有様。
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2000 01 |
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「私より長生きしてね」 母に抱かれているクロも、確か15歳?16歳!
「長生きしたらテレビに売り込もう!」 アブサンならぬクロサンで。
病気もせず、「三つ子の魂百まで」 野良猫の本性も健在で、
かっての冴えは衰えても、時々盗みを働き、ソファーは爪研ぎでぼろぼろ、
継ぎ接ぎ修理のため、クッションが3個も解体されて丸裸・・・
本当に疲れを知らない元気なクロです。
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2001 02 |
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「今日は餌をあげたかしら?」「あれ、餌が残っている」
勝手まだらボケの母が何やらぶつぶつ、「クロも歳ですからね」
軽く受け流していましたが、食が細くなったのは事実。
余り騒ぎ立てると母が動揺する。
食欲はかっての半分以下 1日一食程度になって来ました。
寝場所もリビングのソファーから私の部屋、母の部屋、子供達の部屋。
洗面所から納戸、クローゼットと移動します。
その都度、トイレを運んでやりました。
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2004 03 |
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そして、ついにクロが食を断ちました。
マタタビを向けても顔をそむけます。
クロが旅立つ一週間前のスナップです。
これ以上はカメラを向ける事ができません。失礼にあたります。
人間を寄せつけない毅然とした様子にたじろぎました。
抱き上げてトイレに入れると用を足し、水を差し出すと少し飲み
高僧の如きまなざしで私を見つめます。
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2004 04 |
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食を絶って2週間、4月22日(木)最後の日は
母のベットの下にもぐりこみました。
買い物から帰った母が 「クロ、大丈夫?」と声をかけたら、
ベット下からゆっくり姿を見せて、抱きかかえた母の胸で一声発して
事切れました。2分後に帰宅した私を待つように、
母が閉じてやったはずの瞼は開いたままでした。
タオルに包んで、顔の部分を出してやり、庭のエニシダで飾りました。
何回触っても、硬い体は冷たくて、私を拒みます。
翌23日(金) 動物斎場の延命地蔵尊で火葬にふしました。
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2004 04 |
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クロは個人葬にしてもらい、丁寧にお骨を拾ってもらいました。
飼い主に似合わず、歯も揃ってきれいなお骨でした。
「もう猫は飼わないからね!」昨夜、泣き叫んだ母が火葬を待つ間、
地蔵尊の新緑の丘を散歩しながら、ノラ猫達をなでていました。
「クロのように死ねたら幸せ」 母の口癖になりました。
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2004 04 |
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クロは、かわいい骨壷の中でやすんでいます。
次郎さんと高松玲子さんの描いた猫達が見守っています。
20年近くも家族の一員でした。
父の死、母の大病、息子の回り道、娘の闘病生活、事あるごとに
私の話し相手になってくれた、最高のカウンセラーでもありました。
娘の1日でも早い退院を待って、家族全員でクロを埋葬します。
クロが好きだった場所、ほら時々用を足しに庭に出て、
足をブルブルと振るわせながらリビングに戻ってきた、
可愛いい白い花をつける桃の木の根元に埋めてあげます。
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2004 05
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