Donの部屋
運転再開日誌     33年間ペーパードライバーの現場復帰

愛車 スズキのkei
2001 04 12
母の廃車宣言

  
我が家には、大正生まれの女性が鎮座している。みかけはしおらしく、その実、中身は
第2次世界大戦と大病を経験し、大酒飲みの旦那を手のひらで操り、見事にあの世に送り、
「残る人生は付録みたいなもの、遊びまくってやる!」こう豪語して止まない強者である。

親子で教習所へ通ったのが、36年前。子供を尻目にさっさと免許を取得。翌日、日産の
ブルーバードを転がしながら成田へ運転安全祈願!それ以来、助手席に旦那 子供 孫と
三代を乗せた歴戦の兵である。

その彼女の突然の宣言 「車に飽きた。好きなように処分しろ!」車はカムリ 笠高く何とも
場所を食う代物。当方車には全然関心なく、大きな鉢や園芸用の土など買う時はだけは、
腰を低くして車を出してもらっていたが・・・・

 
2001 04 17
運転再開宣言
母の車廃棄宣言から1週間、きちんと夜は寝て考えた。今の我が家に車は必要か?
否!数年後は如何なものか・・・

常日頃より母親には「今日の漬物は塩がきつい、何て料理が下手なんだろう」
何時ものようにタメグチたたきながら 箸をポロッと落としてあなたは往生する。
そんなイメージトレーニングを試みてきた私だが、人の生き死には神のみぞ知る。
してみると、「ここらで選手交代」 神のご指示かしら?
第一、母屋より立派だと人様から言われる駐車場に車は無いと、
玄関先が尻をはがれたみたいだな。

その程度の考えで、「私が運転する」宣言となった。
敵は「フーン」と答えたのみ。いっさい無関心。
営業マンを呼び、中古の小型車に買い換えるがの問い合わせに
持参したのは下取り価格と新車のパンフレットのみ。その後は梨のつぶて。

インターネットの画面で中古車ディーラーや、ペーパードライバー教習所を調べ
「ゴールド免許」の持ち主とは言え、完璧なる33年間ペーパーの私め
その空白を埋めるのに、結構勉強させてもらった。
 
2001 05 11
友人諸氏による
後援会発足
恒例の春季マージャン合宿で友人宅に。
何しろ、我が家にいるより心が和む、心の実家とも言える学生時代からの仲間、
会社の連中には別荘へ行くと称して、10数年ホラを吹きまくっていた。
メンバー4名の他に ビジター多数あり。

マージャン、寺、美術館巡り、バーベキュー、ドライブとその都度、合宿の中身は色々。
日頃から「運動神経と羞恥心が無く、あるのは好奇心だけ」 と評されていた私のこと
運転再開と言おうものなら、「社会にご迷惑かけちゃいけないよ」と 諭されるのが
おちと思いきや 「よしゃ!」 の一言で車探しのツアー決行 後援会発足。

何しろ、60歳を目前にウィンドサーフィンを始めた奴、元自動車部出身など
後援会のメンバーはきら星の如き・・・頼もしい連中。  ああ持つべきものは友!

 
2001 05 12
ディーラー巡り

車種決定

「中古は色々な癖がついているし、前科もあるし、新車にしたら?」
そうと決まったら 午前中に トヨタとホンダの営業所へ、トヨタでは、ビッツ 
シートに腰掛けた時、前の機器類が妙に丸っこく見えて若者向けの感じで
何だか落ち着かない。次にデュエット、うんこれかな、車が私を呼んでいるかな?
ホンダではライフ、四角っぽくてピンとこない。
でも、営業マンが我が家のご近所、時間を割いて面倒見てくれるとおっしゃる。
ペーパー・オバサンには ありがたいご提案。心が少々動く。

ここで昼食会、後援会長ならびに会員の意見。
「あんたね、高速ぶっ飛ばす気が無いのなら、軽自動車にしたら」
「車検や税金のこと考えたことある?維持費も馬鹿にならないよ」
満場一致で軽自動車に。

午後はスズキへ、ああ懐かしい響き、スズキのアルト、
ハンドルを握った感じ、身にそぐいすぎてちょっと軽すぎる。
次に、スズキのKei。うん、これに決めた。私の車だ。私を呼んでいる!
33年の空白を感じさせないクラシカルな風情。
要するに、ちょっと地味めな明るいオバサンってところ。

「色はワイン、グリーンもいいね」
「葬式には乗っていけないよ」 先を考えての意見でグレーに決定!

2001 05 14
ディーラーへ電話
マージャン合宿も盛会のうちに終えようとする間際に
見つけてくれましたね友人が、ペーパードライバー教習付のディーラーを!

帰宅後、電話を入れました。ドキドキしながら。
「Keiを購入したいのですが、30年間ペーパーです」
しばしの沈黙は、いや絶句は何を意味するか・・・ほんの数秒間の長かった事!
「分かりました。お伺いします」 私は受話器に向かって最敬礼。
「お待ちしております」
 
脇の下にすーっと汗が流れ、一仕事終えた気分。
受話器の向こう側の様子はこの際、知りたくもなかった。
 
2001 05 18
営業マン来宅
やって来ました、スズキの営業マン。しかも、Kei に乗って。
「とりあえずカムリの査定をさせていただきましょう」 てきぱきと車をチェック、
提出された金額に私はびっくり 「高すぎませんか?」
今考えても奇妙な光景、売り主が買い手に向かって言う台詞ではないはず。
「綺麗に使っていますね」 追い討ちをかけるが如くの誉め言葉、わが母君の満面たる
笑顔。別に美人と言われたわけでもないのに・・・

こうなりゃ話はとんとん進み、私にとっての一番の気掛かりの
「あの教習は、誰がしてくれるのですか?」 「僕です」
ありゃ、こんな朴訥な若者が犠牲者になるのか!
しかも新婚1年目、新妻を泣かしてなるものか!

それにしても下取り価格が予定の倍近く、しかも、33年ペーパーのご指導まで
引き受けて頂けるなんて!今夜からスズキに足を向けては寝られない。
心底私は感謝した。ご恩に報いるためにも頑張るぞ!!

2001 06 05
営業マン教習
第1回目
来ましたね、燦然と輝くメタルグレーの車体!私の車、スズキのKei。
生まれて初めて車を持った気恥ずさもあって、ちょっと好きな男の前に出た気分。
「さあ、乗りましょう」 夢から現実の世界へ・・・

ペットボトルの水を先生にも一本渡し、何とか商店の名入りのタオルを首に巻き
装備は完璧、いざ出陣!「左足は使いません」 折りたたんでおいて下さいとは
言われなかったが、オートマとは片足走行とみた。

「ちょっと車をとめて 外へ出て見てください」 先生はやさしく言われた。
「このまま行くと電柱に激突しますね」 そのとおり。
「右と左を間違えましたね」「前進とバックを間違えましたね」 そのとおり。
先生はあくまでも姿勢正しく、右手で何かを操作しながら、ゆったりとした口調で
お話しして下さる。

後で分かったことですが、姿勢のよさは足を踏ん張っていたため、右手で操作して
いたのはパーキングブレーキ。「これは私の命綱ですから」 おっしゃるとおり、そのとおり。

1時間30分の教習も終え、先生を送り出した後には、空になったペットボトル2本
汗でべとべとのタオル1本と、グッショリ濡れた下着一枚。
名誉のために言明するが、決して失禁したのではない。

2001 06 06
営業マン教習
第2回目
約束どおり午前10時前、先生来宅 「今日は1時間でお願いいたします」
今回は 近所の大型雑貨店舗の駐車場へ。予想通り屋上には1台の車もない。
格好の教習所ではないか!

「右回り、はい駐車して、横の車に接触しましたね」 恐れ入ります。
「ブレーキは早めに利かせて、ハンドル操作が遅すぎます」 恐れ入ります。
「店から出てくる人に注意して、お子さんが飛び出してくる場所ですよ」 分かりました。
「左回り、そうです右との感覚がかなり違いますよ、何回も回ってみてください」 
「また、駐車している車にぶつけていますよ、はい警備員に挨拶して」 ちょっとごめんね。
誰もいない広い駐車所で、架空の車に数回接触しながらも、
思う存分ハンドルさばきの練習。
「車庫入れの練習、又ぶつけましたよ」 はい注意します。
「どのスペースに入れるつもりだったのですか?」 どこでも入ればよいと思って・・
「降りて私が指示しますので」 「隣の車との距離を窓から首を出して、そうそう」
「今私の足を、轢いたことになりますね」 ごめんなさい。

午前10時40分 1台の車がおいでになった。これにて即席教習所は終了。
「駐車場から出て 次は区役所まで行きましょう」
ほんの10分 山坂越えて警察署、無事駐車場へ車を入れて
「車庫証明を取ってきますので、お待ちあれ」 どこまで気の効く営業マン!

我が家の駐車場に、ハザードランプをバサバサ言わせながら、どうにかご帰還。
「ありがとうございました。先生もう1日お願い!」
「うーん、それでは明日から納車が重なりますので、来週火曜日に」
深々と頭を下げてお見送り。何時もながら手元に残ったのは
空のペットボトル2本、汗にまみれたタオル1本、下着1枚。

2001 06 07
友人教習
第1回目
後援会長並びに会員の出張教習、まあ平たく言えば友人2名が私の生存確認に
お出ましになった。

「どれ、ハンドルを握って、シートベルト、ミラーの確認、パーキングブレーキの
上げ下げ、それじゃ途中までしかブレーキが下りていないよ、はい出発!」
近所のスーパー、区役所、右回りに旋回 次は左回りに同じコース。
「右にそれる癖があるよ、今の位置でまっすぐ走って!ブレーキが遅い!」
「歩行者優先、バイクが要注意、サイドミラーで終始確認怠らず」

「さあ、怯えるんじゃないよ今度は国道246に入るよ、スピードに乗って、間を空けると
他の車がやたら入り込むよ、但し、制限距離は守って」黙って聞いていりゃ、
次ぎから次へと難しい注文。いえ御注意。「私ら命を賭けて乗ってやっているんだよ」 
恐れ入ります。勿論、ひたすら黙って頷いて聞いていました。

「さあ、次は車庫入れ!どんな下手な奴でも自分の家の車庫だけはうまくなる!」
木炭で地面に線を引き、「はいここが前輪の位置、そしてここが後輪、窓からあの木が見えたら
止める」「おいおい、きり方が早い、バックでハンドルを元に戻し、それから前に進め、車を
正確な位置に戻し、落ち着いてバックして、窓から木を確かめて止める」

トヨタのカムリは、スズキのKeiより、巾にして20センチ、縦で120センチ長い。
私め、母親のカムリに同乗していた時は、今の台詞、毎回わめいていた。
重ね重ねの無礼を、親族とは言え頭を地面に擦りつけてお詫び申し上げたい心情!

「うーん 早くも横を少しこすったな、CAR PAINT がいるな」
「自信がなければ この木を切るしかないよね・・・」
我が家のシンボルツリーでもある、紅い実をつけた山桃の木を撫でながら、
友人達は私に問い掛ける。
「お願い、もう1日教習にきて!」 縋る思いで懇願した。
何しろ、山桃と私の命がかかっている。

2001 06 08

ナビゲーター
友人は月曜日、営業マン先生は火曜日、その間一人で動かせるかしら?
産んでてよかった、娘が遊びに来た。飛んで火にいる何とやら・・
「ナビゲーターになって!」

開店前の大型日用雑貨店の屋上へ。今は、もう秋、誰もいない海・・・ならぬ夏の駐車場。
警備員さんへ軽く挨拶して 「ちょっとね、後で買い物しますから」

数年前に免許を取ったばかりの娘、段々思い出してきたのか妙に教え方がうまい。
何処からか赤い三角帽の停止表示器材を調達してきて、駐車場のあちこちに設置。

「ブレーキが遅い、そんなに大げさに右に切らない」
「大丈夫、ハンドルは自然に戻るのだから」「ありゃ、又隣の車と接触したよ」
「駄目だよ、2台の車の頭を飛ばした!」「あっ、後ろの車、完全に壊したぜ!」
最後は悲鳴と絶叫が入り混じり、天にも届かんばかりの盛り上がり。

そこへ、すーっと1台、お客様の車参上。
何事もなかったかの如く、所定の位置に車を駐車し、停止表示器を元に戻し、
私ら親子は店内へ。CAR PAINT 一本購入し帰路につきました。

2001 06 09
自主学習
第1回目
今日は空模様が今ひとつ、ワイパーの動かし方を確認して。
よしゃ、一人で近くまで練習だ。覚悟の程を見てくれ!

行きましたね、例の大型店舗。今日は土曜日で駐車場にはかなりの車。
とりあえず2Fの駐車場へ、昨日の娘の絶叫を思い出し、
人様の車を傷つけちゃならねえと、格好悪いがそのまま出口へ。

次は、さほど遠くない、でも歩くと30分の大好きなパン屋さんへ。
結構上手に路上に車を止め、お好みのパンを買い求め、トランクを開けて収める。
このあたりで私の頭の中には、一つのイメージが出来つつある。

そうさ!TVのコマーシャルみたいだ。
ほら、しゃれた車がパリの街並みの狭いスペースにすーっと車を乗り入れ、
フランスパンと何故か見栄えのする野菜なんか買い求め、車に投げ入れ
颯爽と発進していくそんな光景・・・・よし、その線で次なる店へ。

行きましたね、何と自宅から徒歩5分のスーパーへ。
坂ありの狭い駐車場。まあそこが 「Kei」の身の軽さ。どうにか乗り入れ、
チーズとワインとは行かないまでも、豆腐と安い発泡酒をしこたま買い込んで
これもトランクに収め、(実は初体験、カートで駐車場まで物を運んだのは!)
やり遂げましたね、TVのコマーシャル、「パリの街角」篇。
至極満足、お疲れさま!

2001 06 10
自主学習
第2回目
昨日の成功がまだ緒を引いて、何故か今日もハイ。
「パリ街角」篇の続きは、「パリ郊外」篇で攻めよう。

娘のアパートがころあいの距離、海外研修でスーツケースを取りにくると言ってたな。
黙って届けてやろう、確か彼女は今日は仕事で留守。
国道246 いいじゃないの、走ってやろうじゃないの!

入念にマップを下調べ、快調に車を走らせ、やっぱトラックは大きいな!
あっ、スピルバーグの「激突」思い出しちゃった。こりゃヤバイ・・・
「パリ郊外」とは程遠い景色の中をひたすら走り、目当ての信号で右折シグナルを。

あれ、待てよ、あの標識は右折禁止?前方のバスの運転手が何やら手を振っている!
分かりました。ごめんなさい。失礼のほどはご容赦を・・・・

皆様の非難を背に感じ、そろりと方向をたて直し次の信号で右折。
これ以上の無知は社会のご迷惑とスーパーに車を入れ、スーツケースをごろごろと
転がして娘のアパートまで。鍵を開けスーツケースをほおり込んだ時は、
「パリ郊外」篇が「空き巣」篇になってしまった感じ。

気を取り直し、スーパーで山桃の実を漬け込む焼酎を買い込み、
マップを見直して心鎮めてから、帰途に。

「ありがとう、助かった。部屋散らかっていたでしょ」
娘からの電話。見てねえよ、君の部屋なんて・・・

2001 06 11
友人教習
第2回目
後援会長自らの出張教習。おいしいイタ飯で釣ったとは言え感謝!感謝!

数年は通わなくてはならない病院まで、電車乗り継ぎ30分コースの習得篇。
タコメーターのセットと、事故に遭遇した時の心得等、メディカルな面からのご指導を
賜りながらのドライブ。

車線の変更、右折のタイミング、マップから検討して数通りの道順確認、
午前一回 午後一回、時間帯による車の混雑具合までチェックしてもらい、
卒業検定は「夏季マージャン合宿に車で参加すること」に決定。
東名高速、保土ヶ谷バイパス、横浜新道、名立たる難関突破を目指して健闘あれ!
よおし、トライするぜ!

汗と涙と感謝のうちに、今までの屈辱の日々が頭をよぎった。
「あじさい寺も行きたいな!」後部座席から声を掛けようものなら、
「運転できない人は黙っているの」 ぴしゃりと声を封じられ、「だって」と
反論しようものなら、「車から降りなさい」のひどい扱い。
仲間内で運転できないのは私一人、その割に態度がデカイのも事実。
ああこれでようやく人間扱いしていただける。

パスタ、デザート、コーヒー付ランチで腹ふくらませた後援会長の後姿に
深々と頭を下げながら、心中ひそやかに涙したのであります。

2001 06 12
営業マン教習
第3回目
営業マン教習最終日。
「国道246も一人で走りました。車もカストマイズしました。」
車の左側の傷補修跡をお見せする。下手なマニキュアを施されて車が苦笑している。

「はい、ブレーキは早めに、ハンドル操作は機敏に、あせらず、落ち着いて」
「はい、結構です。次は音楽を聴きながら軽快にドライブを楽しんでください」
気が散るのでラジカセも触らず、クーラーだって一人の時は使わなかったくらい。
おっと忘れていた、まだ夜間は車に乗っていない。ライトも確認しなくては。
残る課題は数々あれど、一応ここにて研修終了!

「本当にありがとう、お疲れ様でした」 心からの感謝の言葉に、
空のペットボトルを渡しながら笑顔で頷く若者の心のうちは、いくら鈍な私でも、
察して余りあるもの。逃げるがごとく去っていく後姿には、窮地を逃れた者だけが知る
安堵の様子がありありと見てとれた。

2001 07 17
営業マン 来訪
運転日誌もラストスパートに入り、極暑の屋根裏部屋で例のタオルを首に巻き、
流れる汗をものともせず、一種マゾ的な境地でパソコンのキーを叩いておりました。

ピンポン、何やら玄関で物音。今はどなたにもお目にかかりたくないのに・・・
渋々開けたら、何とスズキの営業マン先生のお越し。「納車の帰りに通りかかりました。
車があんまり綺麗に納まっているので、もしやあれ以来、車に乗っていないのではと
心配になりまして?」泣かせるお言葉ではないですか!

「とんでもない、仕事の都合で毎日とは申しませんが、週に3、4回乗っております。」
リビングに招き入れ、アイスコーヒーなどお出ししながら、どちらが顧客か分からないくらい
丁寧に近況を報告致しました。
それにしても何と言う奇縁!運転日誌の主役登場なんて・・・

「6ヶ月の無料点検まで1000キロほど走らせて、不都合な個所を見つけてください。
声をかけていただければ、代車を用意して何時でも伺います」
おお、おお、この期に及んでまでも営業マンの鏡!

「ありがとう、これをご縁に末永く・・・」
スズキに嫁入りしたような台詞が思わず口から飛び出し、得体の知れない感動が・・・
とまでは行かないものの、弱いんだよねオバサンは、こういうエンディングが!!

2001 08 27
卒業検定 
模擬テスト版

夏季マージャン合宿に卒業検定実施の予定でしたが、盆休みと重なり
渋滞を心配して無期延期となりました。

この1ヶ月、引越しの手伝いやら買い物やらで、夜間の運転も経験済み、それなりに研鑚を
積んでまいりましたが、HP誌上で宣言したこともあり、周囲からの期待(別に誰も・・・
ちょっとした言葉の綾です)に応えるべく心の準備は出来ておりました。

月に1回程度、「パソコン教室」の名前を掲げて、実態は仲間が集まって
辛抱強い、心のやさしいイチロー先生を囲んで飲み、食いの会をやって
いるだけですが、次回の会場が例のマージャン合宿の友人宅。
となれば、当然車で参上、卒業検定の実行と相成ります。

マップを念入りにチェック、イメージトレーニングもトイレの中で数回繰り返し、
ガソリンを満タンにして、密かに模擬テストを試みました。
国道246から保土谷バイパスに無事乗り入れ、環状2号線へ。
ここまでは順調だったのです。

単に出口の名前を忘れてしまっただけなのに。
そこから地獄の暗夜行路の始まり・・・

ここは何処?私は誰? の世界に・・・
淀川長治さんの口調では 「怖いですね!トワイライトゾーン!」

横道にそれ、空き地を見つけては停車、マップを見せては道行く人に
質問攻め、ご迷惑の限りを尽くし、ようようたどり着いた友人宅は留守。
当然の結果、連絡無しの隠密行動ですから。
勝手知ったるわが別荘、けれど鍵を壊してトイレを借リたら友情も失う。

近くのスーパーへ入り用を足して、再度念入りにマップをチェック。
「大丈夫!レッツゴー」 その声が天にも届いたのか、一転俄かにかき曇り、
シャワーの如き雨あられ。帰路への祝福にしては度が過ぎる・・・・

やはり迷い込みました。2度目のトワイライトゾーン。
しかも今回は、スピルバーグ監督並みの超恐怖版!

地図の距離感もつかめない方向音痴は緊張するとただの痴人に変身。
豪雨で前後の車も定かにあらず、標識もまともに読めず、おまけに
念を入れて覚えたはずの地名が豪雨とともに霧散。そして無惨な状況に。

ハイ、生きては帰り着きました。本能と帰属意識だけで。
又別の機会に、何処をどう彷徨ったか地図を見ながらお話しするかも
知れませんが、今は静かに眠らせて。

2001 08 28
卒業検定
合格!
朝起きて真っ先に思い出したのは昨日のトワイライトゾーン。
一夜明けると楽しい体験に思えてくるから不思議。

さすが「不死身の女、愛は不死鳥」 何だか分からないが
ここでけじめをつけなくちゃ先に進めないそんな思いに駆られてきた。

友人に電話を入れ、昨日の不始末を説明し、アドバイスを頂いた。
最初から素直に教えを請えば良いものを・・・お陰さまで、きちんと行けました。
メーターと時間も測り、心穏やかに、多少の不安を抱えながら。

昼食とコーヒーとデザートまで御馳になり、後から駆けつけてくれた後援会長に、
催促して「よくやった」と誉めてもらい、帰路の道順をマップを見ながら、懇切丁寧に、
まだマップに載っていない新しいインターやポイントになる建物や標識まで教えてもらい・・・
  
そうです。確実な情報と素直に学ぶ心があれば、トワイライトゾーンの世界に
踏み込むこともなし・・・でした。

2004 05 現在
軽(kei)快な生活
初めての車検とやらがやってきます。
近況ご報告!先日、サイドミラーに駐車違反の手錠がかけられ
罰金15.000円也、ゴールド免許も剥奪され、今は謙虚に法に逆らわず運転しています。
仕事 通院 友人たちとの合宿等、生活に欠かせないツール(生意気な表現で失礼!)に
なりました。ここまで育て上げてくれた友人、営業マン、ファミリーに感謝!!
 

Donの部屋
運転再開日誌 風になりたくて 加齢なる人生 好きなだけ